『土と内臓』

昨年から、へっぽこではあるものの畑を始めた。夫の実家の畑は何年も耕されていて、土がむき出しになり、乾き、ひび割れていた。私は自然農の本に載っていた、かっこいい緑色の畝(刈り草を表土が見えないように被せてある)の写真に惹かれた。緑の畑を作ろう!と決めた私は、土を裸のままにしてはいけないという本の教えを守り、私は土手に生えている雑草を刈り取って袋につめ、それを作った畝の上に敷いていった。そうすれば、土の中にいる微生物が草を分解し、植物の養分を作ってくれる。汗だくになりながら土手から雑草を集め、せっせと敷き詰めている姿は異様だったらしく、義父母に笑われたけれど、二人とも私の好きにようにさせてくれる寛大さの持ち主だった!私は思う存分雑草を敷くことができた。

汗だくになって、土手から集めた刈り草

乾燥した土地では、作ったばかりの畝は最初は柔らかく濃い土の色をしているものの、すぐにひび割れて寂しい灰色がかった色になる。栄養がないことを感じる色だった。かっこいい緑の畝を目指していた私は、相変わらずせっせと刈り草を敷き詰め、ひとまず草で覆われた畝に、5月のはじめから徐々にジャガイモを植え、枝豆、大豆、トマト、かぼちゃ、オクラ、とうもろこし、モロヘイヤ、なた豆、ハーブ類のタネをまいた。
暖かくなってくると、どんどん雑草が生えてくる。周りの畑は、綺麗に草取りをしているけれど、私はそれを剪定バサミで切り、そのまま畝に敷いておいた。近くのおじいさんに「そんなことをする奴はいねえ」と怪訝そうに言われたけれど、これはいいことだという実感があった。何より、緑の畑は見ていて嬉しい気分になった!緑の畝には、甲虫やバッタがたくさん生きていた。少し土を掘るとゴミムシが現れて、わーっと逃げ出していく。時々はアマガエルもいた。たくさんの生き物がいることに、私は喜びを感じた。

緑の畑が好きだ

肥料もやらない、ただ雑草を敷いていくだけの畑。ちっとも大きくならず、うまく育たなかったものもあった。(特にかぼちゃは、ツルの為に広い畝を作ったのに、ちょびっと申し訳程度しか伸びてくれなかった。)けれども、秋には最初の収穫物であるジャガイモがたくさん獲れ、イモをゴロゴロと掘り出した後の畝に、作物がなくなったこと好機に、さらに草を分厚く敷き詰めた。隣で草刈りをした人の草までもらって。。。

しばらくして、そのジャガイモが植わっていた畝の上にある枯れ草をめくって見ると、固い土の層がフカフカとしている。すっと手を突っ込むことができて、中まで柔らかい。土の色が濃くなっていた。何か、とてつもなく良いことがここで起こっている!!私は興奮した。作物を収穫することよりも喜びを感じて、それからは畑を訪れるたびに、枯れ草をめくり、そのフカフカを味わった。


そのことを熱っぽく語る私をみて、夫がプレゼントしてくれたのが『土と内臓』だった。この本は、生命の誕生から、目に見えない微生物の働きがどのように明らかにされていったのかを、土と植物の間で起こっていること、人間の身体で起こっていることを、筆者の庭づくりや、がん闘病のこともまじえながら書かれている。私はこれを読んで、自然がいかに完璧なものであるかを知り、「なんとなく良いことなのかな」くらいの気持ちで挑戦していた自然農の草マルチや、不耕起栽培が、土壌のためには間違いなく良いことであると知った。

著者は「土三部作」を書いており、これはその2番目

そして、何と言っても一番の驚きだったのが、人間の身体と微生物の関係だった!私の身体には、無数の微生物が棲んでおり、しかも、それらの微生物が食物を分解し、私たちに必要な栄養を与えてくれている。「土の表面は、人間の消化器のほぼ同じ」で、私たちは「自分の腸で庭づくりをし、自分が希望し必要とする生き物を、体内の奥深くで育て」ていたのだった。

私は半身浴中の読書で、驚きの事実に触れた。そして、この文章に思わず目頭が熱くなる。
「微生物の目から見れば、私は生きている丈夫な格子垣ーが裏返しになったものーで、そこに無数の微生物がからみつき、はい上がり、成長する。細胞の一つひとつに少なくとも三個の最近細胞が棲んでいる。それは私の身体のいたるところー皮膚、肺、膣、爪先、肘、耳、目、腸ーにいる。私は彼らの故国だ。」

なんてこと!私の身体は、思ったようなものではなかった。
私は、自分の身体を「自分のもの」と思いすぎていた。甘いもの食べる時、野菜を食べる時、いい結果も悪い結果も、それは「自分の」健康の問題だと思っていた。外の世界と自分の体には境界があるのだと思っていた。
私は魅力的なファンタジーを生きる酋長になったような気分で、微生物たちのためにも、このコミュニティを良好な状態に保つべし!と、食べる物を変えることにした。精白していない穀物(玄米やオートミール)を食べ、野菜や海藻を多くとり、肉をほとんど食べなくなった。精白していない穀物は、大腸の微生物群に栄養を届け、その代わりに私たちは有益な化合物を得る。(おかげでお腹の調子がいい。)

畑と私の身体は、並行宇宙だ。生き物は、ただ生きているそれだけで全体の中で機能していた。こんなに安心する事実が、他にあるだろうか。

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